ヌード モデル 裸になることで、自分の体に自信が持てる

 
腕枕をしながら優雅に寛ぐ女性美術モデルの画像

ヌード < ヌードになることの勧め >

 クロッキーやデッサンの(美術モデル・知性派 ヌードモデル)だけでなく、撮影モデルでも良いのですが、ヌードになることの勧めについて・・・ 珍しくコケティッシュなヌードになってます。 コケティシュとは英語じゃないので(たぶん、フランス語)その意味は良く分かりませんが、あでやかで可愛いということなのでしょうか。美術モデルもしくはヌードでなくてもポートレイト撮影をご希望の方、こちらへ連絡ください・・・ モデル希望者

  ところで「ヌードになることの勧め」なのですが・・・(モデルの方たちは概して)ヌードになろうが、それはヌードという殻を羽織っているわけで、決して自分自身の何もかもをも見せているという意識にはないことです。 人が恥ずかしいと思うのは、内面をも知られるということなのでしょう。 外見(ヌード)を知られても、気にするほどのものではないということでしょう。 造形美としてのモデルの感性や美意識は表に出てくるのでしょうが、いわゆる”プラーベート”は表に出てきようがない・・・これらクロッキー絵と合成すれば庶民の日常を感じさせるヌードにもなります。

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  木炭デッサンヌードと花とのコラージュ画像

 一般的に考えれば、体裁(ヌード写真はエロですか?)というものをとても気にします。それも服を装った状態での・・・。 ヌードになってしまえば、外面的にはこれ以上隠すものはないわけです。それも、自身の内面までは知られる由もない。
 とても解放された気持ちになれるとのことです。また、自身のヌードを第三者に見られることによって、(外形的には)自分のすべてを受け入れられていく・・・そんな思いもあり、自分の体に自信が持てるようになるとのことです。 写真であればプライベートな問題も生じますが、絵のモデルであれば何ら ”証拠”は残りません。 ヌード作品集もご覧ください。

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 それともう一つ・・・世間的にいう「美しさの概念」などというもがあります。160cmなら46キロとかウエストは60cmとかいう・・。 なんでそのような詰まらない意識に振り回されるのでしょう。 アート空間では醜さも美しさのうちと考えます。 個の持つ美しさ、その人しか持ち得ない美しさを大切にしたら良いと普段から思っています。

自然なポーズ・固有のオーラ・内発的なポーズ

描き手の側からすれば、その人らしい自然なポーズ・その人固有のオーラ・(表現者としてのモデルの)内発的な何かが形作るポーズであることが望まれます。 逆に、アートに関わっているという意識の薄い方やお金のために時間潰しに来られたようなモデルさんであれば、互いの(空間の)モチベーションは下がり、結果としてはつまらない作品にしかならないということです。 ヌードそれ自体には、価値はないということでしょうか、それなりのポーズがとれなけば、ヌードモデルは勤まらないということですかね。

 

  風景・人物。写真集

 

 

  風景・人物。写真集

 

 

  風景・人物。写真集

 

 

  風景・人物。写真集

 

 

  風景・人物。写真集

 

 ヌードになる人は、けっこう病んでる人が多いように感じます。 病んでるから脱ぐのではなくて、脱ぐことによって、自分が過去背負い込んできた諸々の”荷物”を下ろそうとしている・・撮影していると、そんな気がすることがある。 また、精神的にひどく追い込まれる経験をすると、”生きることの意味”と真摯に向き合えるようになるのでしょうね、精神的にも肉体的にも何も見にまとわない自分を見せてみようと考えるようです。

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