アート 古典派からロマン派へ そして印象派

 
   首から上、太ももから下は写ってない写真

< ベートーベン >

  クラシックコンサートに出掛けることを楽しみにしてる人たちがいます。 暮れになれば、ベートーベンの第九を聴くことを恒例としているようです。 ベートーベンといえば、すでに200年近く前の人ですが、それでも未だにファンが多いのはなぜなんでしょう。 最も崇高な音楽として考えている人も多くいます。 上の画像は、アールヌーボーといわれる時代(1900年ごろ)の建築物とヌードモデル・美術モデル画のコラージュですが、音楽で言えばベートーベンやブラームスを想わせるようですが・・・ベートーベン物語

人は様々な価値観や美意識をもって生きてます。 それらを決めるのは ”感性と美意識 のモノサシ”といわれるものかもしれません。 政治や経済体系の変動から、その感性の切り替えを余儀なくされる時代もあります。 美術史でいえば、生命のリズム を感じさせるセザンヌの出現であり、その直後に活躍したカンディンスキーは友人へあてた手紙の中で「悲しくもまた幸せである・・」と書いてます。 ベートーベンの時代では悲しみと喜び(幸せ)は対極にあったのでしょうし、それらの対極する中で苦悩というものがあったのでしょうが、1900年を境にして(カンディンスキーの時代には)悲しみと幸せは対極にはなく、悲しくもまた幸せであると書いているように、それらは同極にあったと思われます・・・相対性理論。 このように、時代が変われば”感性のモノサシ”も変わりうるということです。

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印象派のアート(印象派なヌード )・絵画ばかりに興味があり、現代美術には興味を示さない人も多くいます。 これも、感性のモノサシのひき方の違いからくるのでしょう。 100年単位に大雑把に考えれば、19世紀までは神の存在は絶大であり絶対的価値観が優先された時代、20世紀は相対的なものの考え方が浸透していった時代、21世紀は自然と人間 の共存が問われる時代と考えることもできます。

パステル絵画のようなヌード

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ところで、ベートーベンが好きな人たちはたぶん印象派の絵画も好きな人たちであり、いわゆる現代のものには興味を示しません。 感性のモノサシの違いから、現代のものを理解できないということも起こっているようです。 また、現代のものを理解する人たちは、絵画でいうところの古典(音楽では、バッハなど)を好きな人も多く、古典と現代の中間に位置する印象派の絵画であったりロマン派の音楽を退屈に感じたり、ときには疲れるものとして感じていたりします。 ベートーベンの苦悩は悲しみと喜びの対極の中にありますが、現代感覚で生きる人(自分)にとっての苦悩はそれらの対極の中にはなく、悲しみと喜びは同極にあり、その対極にあるのは野蛮さであったり非人間的な在り方にあったりすると考えます。 だからといって、ベートーベンの”価値”が下がるというものでもありません。 美術史(エロスの変容・歴史観  日本の美術史  西洋の美術史) でいえば、その業績とその後の影響力を考えるときダ・ヴィンチとピカソを両横綱と考えるのでしょうが、音楽史でいえばベートーベンが独り横綱とも言えるからです。

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下の画像は、美術モデルの裸体美 を描いた裸婦と野原(自然)のコラージュです。 男性のヌードのように見えますが、女性のヌードモデル・美術モデルを描いてます。

秋の草原を思わせる人体の造形

20世紀初頭の建築物と女性 贅沢な室内空間とヌードの合成画像 西洋的な室内インテリア

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