イメージ モデル 美術モデル

 ヌードイメージにおけるビジュアル(視覚)・・・人というのは、見たいところを食い入るように見ることはあっても、興味を持てないところは見ているようで実はしっかりとは見ていないものです。 特に、(美術モデルのヒップの造形美)ヌードを前にするとこのようなことが起こりがちですね。 瞳孔を開き加減にしたり閉じ加減にしながら、焦点距離も変えながら、モチーフ(この場合は、ヌードモデル)を把握していきます。 カメラが瞬時にしてデータとして正確に記録すことに比べれば、比較にならないほど、曖昧にモチーフを把握します。 この曖昧さが人の目のリアリティーであり、その人の目で描かれた絵にこそ写真とは違う絵の本来の意味があります。 また、偏ってみることそのものが人の特性ともいえます。 したがって、見るという行為と描くという行為は根本的に違います。 どのように見ようが勝手なのですが、もし、” 絵らしい ” 絵にしたいのなら、偏りのない均一に見る目が必須となります・・・ヌードイメージ。

ヌードポーズ・コレクション

< 偏らないこと > この偏りのない目で見るためには、人(ヌードモデル・虚ろな女性の肖像)を ”物”として見る方法論がありますが、その考え方・方法論には賛成できません。 人を物と見るなら、最初から石膏デッサンのみをやっていれば良いやけですから。 石膏であればその姿は永遠に変わることはありませんが、人であれば、その瞬間瞬間にその姿を変えていくわけですし、限られた時間内に仕上げなければならない緊張感もあります。 命はその姿を永遠に留めることはない、という有りがた味を感じながら描くことに本質的意味・ヌードデッサンの必要性があるとも考えるからです。 偏らないことは、ある意味ではアート的であるための精神論のようなものですが、「ヌード写真はエロですか?」という観点からすれば、観る側に媚びているか?媚びていないか?が、ヌードイメージ・アート作品といえるか?言えないか?の ” 判定基準 "なのかもしれません。 クロッキーをする際には、目を細めてみる方法論はあります。 また、実物を見ることなしに象徴的概念のみで絵を描くこと・・・イラスト、漫画、アニメなどですが、それでも、絵である限りリアリティーを前提とするわけですから、ヌードデッサンの基礎・ヌードのコラージュ技法くらいはあることが有利ですね、作家になるには。

ヌードイメージ・青のグリッドをもつ下北写真

ブルーグリーンの枠の絵画

線の模様・ヌードのコラージュ写真 裸婦のサムネイル写真 カフェでの写真とヌードの光景

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