美術モデル 在りのままの姿

 
究極の美としてをイメージした画像

< 究極の美として >

ヌードというのは人の数だけはあるわけで、「究極の美として」とはずいぶん大袈裟な話になってしまいます。 絵を描くにせよ写真を撮るにせよ、そのモチーフは無限にあるわけですが、なぜ、裸なのか?ということです。 何をもってして美しいと感じるのか? 命の在り難さを感じるとき、それを美しい!と思っているだけ・・。 命の在り難さを感じるのはヌードを見るときであり、それも(私にとっては)ヌードと向き合うときなのです。 そこに、究極の美があります。 ・・・・ 過去の記憶がそうさせるのでしょうか、 肉体の情感を想うこともあります。 存在の根源的な意味でもある生命のリズム。 ひとり悦に入れば 私的夢空間。 自己満足だけでは続けていけません・・・ 人を楽しませることの大切さを考えます。 あてずっぽなコラージュで体験できる 創造の不思議。 絵を描きながらも、クリエイティブであることよりもむしろ「自らの反応の仕方を楽しむ」ような余裕があれば・・・。女体・美術モデルに見る生きる力を宿す魂、そこから始まる感じる哲学へと。 美術モデルを前にして、繊細なモノクロヌードが生まれてくるとき、抽象画が生まれてくる道程を思いながら絵画の見方を考えていく、アート的であることを新たな反応の仕方として捉えていくことを。 

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ヌードペン画・虚ろな姿 左に見えるブルーが背景写真となる尻 尻の割れ目が見えるバックから見た図

 

ここには沢山のコラージュ画像を載せてますが、上に載せている画像は(究極といえば大袈裟ですが)モノクロの美術モデルヌードと色の着いてる画像とのコラージュとしては最も成功したものと思われます。 大正時代を想わせるようですが・・・

究極の美などという表現は、ちょっと在り来たりの言い回しで、制作者である以上、作品にするには常に”全力投球”してるわけで、個人的な見解にはなりますが、その瞬間瞬間に”全力投球できることが”美意識”以上に現実的には大切なことと考えてます。

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ブルーのベールがかかる色艶やかな横たわる裸婦像 ボリューム感溢れるヌードデッサンのお腹の図 喫茶店のスタンドとオレンジリオの明かりを背景にした薄くかすかに見える人物画

この画像はスタジオ内での撮影です。 ライティングなどもしっかりしたものを使いますから、外で撮る時とは違い色々な意味で思うように撮れるのですが、だからこそ、しっかりしたコンセプトがないと写真になりにくいという難しさがあります。 この女性は、普段はスタイリストですから、写真にどう映るか?ということはよく知ってますから、撮る方も撮りやすいのです。

スタイリストのポートレイト写真

 

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