モデル&制作者のコミュ 社会的通念にそった倫理観

 
ショーウィンドーに写るヌードの背後から見た画像

< 非日常って? >

 アート画像における非日常って? 社会通念から逸脱した描写や画像などを対象にして、「非日常」であるとかないとかという議論がされます。 公の場であれば誰が見ているか分からないわけですから、「社会通念」という社会的判断基準はあるのでしょうが、プライベートであれば、他者の迷惑にならない限り、そのような基準はどこにも存在しません。 ネット上であれば、公の場と同様の状況であるとも考えることはできるわけですから、「社会通念」という判断基準は適用されるものと思われます。 上のようなヌード画像はいかがなものでしょうか。 写真ならば間違いなくNGなのでしょうが、絵ならば構わないということですかね。 タブーとか常識などというものはアートの世界にはありませんから、倫理観などというものも通用する世界ではありませんが・・・ヌードモデル&制作者のコミュニケーション・対談から・・・公開ではない閉鎖空間で行われるクロッキー会でのヌードの日常と非日常について。 様々な方の参加が想定される中にあって、ポーズをとるモデルは偏見とタブー・変な好奇心に曝されることもあるのですが、そんな中にあってポーズにタブーは・・?あるのでしょうか。 最近では、漫画の性描写に関する規制が話題になってますが、すべてのヌード写真はエロですか?という議論と似てます。

 

ヌードペン画・腰の姿 女の背中 写真のように見える真横からのポーズ

 

上の画象については、描かれているヌードのポーズが(非日常とか)どうのこうのということではなく、色彩的に、また、造形的に見ていただくといいと思います。 絵的に何となく心地よさが伝わっていれば嬉しいですね。 セレブな女性像・・・ ヌード(美術)モデルとアーティストの対話から生まれうポーズです。

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常識というのは、概して既成概念である。 過去の記憶や経験に基づいて観念であったり、ときとして縛りになっていたりする。 人物写真を撮るのであれば、出来れば全身が入るように、手や足の先が切れることのないように撮ることが常識となってます。 それは多分、多くの人の既成概念であり、それに縛られて撮っているようでは今までの写真と同じになるか、退屈な写真になりかねません。 考え方は全く逆で、四角いアングルという絶対概念の中にあることなのですから、少なくともそのアングルの中だけは既成概念を持ち込んではいけない・・という考え方がよりアート的であると考えますね。 話はちょっと離れますが・・・社会の枠をはみ出さないように生きればどう生きても構わない・・という考え方をする人たちは多いと思いますが、それでは生きる意味は見えてきません。 その常識(規制の枠内で)どう生きるかを問われると考えることです。 そこに、哲学や理念・思想ときには芸術・アート感覚と言われるものが見えてきます。

インドの絵画を思わせる女性の美しさ ヌード・バスト オレンジリオの光の中にある女性美術モデル

ポートレイト写真

この画像は、近くの公園で撮ってますから、その意味では日常的なシーンなのですが、こうして写真にデータとして収めてしまうと、背景的な説明がなければ、写真が勝手に独り歩きしてしまい、その意味では、日常から非日常へと変化していくことになります。 人は普段は連続する動作の中で人を見ているわけですから、写真のように一瞬を切り取ることになれば、そこには普段の日常的な図ではなく、日常の瞬間を一瞬にして固めてしまうことにもなります。 そこが、写真のスリリングなところであり、だから、難しくおあるわけです。

 

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