モデル&制作者のコミュ  モノクロとカラー

 
自然な感じでポーズする婦人

 モノクロで描いていた絵にパステルをのせてます。 パステルでも、チョークと言われるソフトパステルです。 ちょっとカラーを入れるだけでずいぶん絵はかわりますが、パステルを入れた後に、入れてよかったかどうか迷うこともあります。 モノクロとカラーとはいえ、ちょっとカラーということでしょうか。

カフェの薄暗いオレンジ色の明かりの中で見るヌード

< 美しいヌード >

 よく見ないと裸婦の姿は見えないのですが、そこをあえて「美しい裸婦の姿」というタイトルにしました・美しいヌード。 さり気無く美しいカフェで寛ぐヌードにも見えますが、これは重ね画像です。 この画象の面白いのは、オレンジ色の電灯があり、光の撥ねたところが(もともとは、白く見える部分ですが)クロッキー画像のモノクロがそのまま見えているところでもあります・・・モノクロとカラーの兼ね合い。 モノクロの部分だけ、ヌードクロッキー画がクリアに見てます。  絵を描くことを考えれば、色や線はどうにでも入れられるわけですから、この画像のように一部分だけをモノクロにすることもできるわけです。 写真同士を重ねることによってはこのような面白い写真はめったにできません。 そう考えると、感慨深い画像になってます。 カラー写真とモノクロ画(クロッキー・20分ポーズ)の合成画像の面白さ。

ヌード鉛筆画・両手を上げた画像 自由ヶ丘・アートモデル ヌード鉛筆画・不適切なポーズの図

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このページのタイトルは「美しい裸婦の姿」となってますが、ヌードモデルを描くのに美しく描こうと思ったことは一度もありません。 なぜなら、見えた通りに描けば「美しいに決まってる・・」からです。 写真は目の前にあるものしか撮れないわけですが、絵はどうにでも描けると思っている方が多くいます。 だから、人物画であれば多少なりとも可愛く(格好良く)描けるんじゃないかと。 でもそれは、まったくの勘違い(認識違い)ですからね。 絵を描くということは、見えたものをそのまま見えたように紙なりキャンバスに再現することしかできません・見えたとおりの絵。 何らかの”手を加えれば”、それはウソを描いていることにもなりますから、絵を描くこと自体に意味を失います。 抽象画であっても同じことで、心像やイメージする像を感じるとおりに再現しているに過ぎません。 したがって、創造するということは、無から有を生んでることではなく、すでに有るものを絵描きの目(や感覚)を通して忠実に再現していることに過ぎません。 ヌードモデル&制作者のコミュニケーションの中でも話してますが、アートはトリックではありませんし、また、アートは手品でもありません

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ポートレイト写真

管理人の絵を下にしてポーズをとるモデルさんです。 この絵と、服装があっているように見えますね。 下に書いた絵は、墨汁に水彩を重ねながら描いてます。 下地はキャンバスですが、200X200センチありますから、かなりの大きさだと思います。

 

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